橋下知事批判のビラ?それならちょうだい…広がる批判の動き

 大阪市教協は、大阪府会開会日の9月20日火曜日、森ノ宮駅頭で教育基本条例反対の街頭宣伝を行いました。

 今回は、大阪市教独自のビラを作成して、教育基本条例に大阪府教委の全員が反対していることや、大阪弁護士会が法律家の視点から「法律的にも成り立たない。」と会長声明を出したことなどをを知らせました。

 ランニング帰りの男性が、「橋下知事批判のビラ?それならちょうだい、頑張ってね。」ともらいに来たり、前回に比べ反応が良くなった、と参加者の感想です。

 各新聞社は、9月16日の維新の会と府の教育委員との教育基本条例案についてのやり取りを「余りもひどい、と教育委員が憤ってる。」などと報道しています。 

 大阪市教各支部でも、独自に宣伝活動を計画するところも出て来ています。みなさん参加を呼び掛けます。

 市教協では、次週から、毎週木曜日午後6時から6時30分まで森ノ宮駅で宣伝活動をします。

第21回大阪市教 教育研究集会

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記念講演 山田雅人さん(タレント・俳優)
「戦争あかん」を子どもたちに伝えたい

平和への思いを「語り」でつづる…

映画やラジオなどにも多数出演。現在は「戦争に散ったプロ野球選手」「直球にすべてをかけた人生」など「山田雅人のかたりの世界」ということで全国に「語り」ででかけ回っています。また、最近は被災地にも足を運び活躍されています。

☆10月15日(土)12時から(記念講演は3:20~)
☆出来島小学校(西淀川区)(阪神電車なんば線出来島駅南へ約300m)
研究集会は組合に加入していなくても参加できます。開かれた研究集会です。

お楽しみコーナー 12時~12時30分
・ 教材、学級通信など
・ 鳥取砂丘の近くの砂鉄をいっぱい含んだ砂
(ほしい方は、ペットボトルのからの容器を持参ください)
・柏木先生の閉店セール・エコリナ制作・理科実験の面白ネタ
・その他、何が出てるかな?    会場内廊下等
◎早めに始まるコーナーもあります。

分科会 12時30分~14時45分
学級集団づくり
「こんなことをやってきたよ。」「こんな楽しい取り組みをしたよ」など、レポートをもとに皆さんで、深めていきましょう。

(A分散会) ・しんどい子どもたちと一緒に
(A分散会) ・雨の日の学級遊び
(B分散会)・1年生の学級づくり
(B分散会)・保護者とのつながりの中での幼児教育

授業づくり、学力づくり
毎日の授業の中で、なかなかうまくいかない。学力をどうやってつけていけば…
交流しましょう。

・小4社会科 -地域の移り変わり教材をどのように作ったか-
「鶴橋・猪飼野画集」作製にかかわって
・中学年・子どもがのってくる学力づくり

音楽教育
・ピアニカの指導を通して
・子どもたちと、弦楽器のふれあいについて
・合唱の指導について

外国語活動
小学校に外国語(英語)が入り、悩んでいる人が多いです。実践を出し合いましょう。
・英語での「コミュニケーション」をはかる

特別支援教育
柴田昭二さんの講座
「排除しない学校づくり」
実践を持ち寄り、話し合いましょう。

健康教育
接骨院の先生を招いて「テーピング」の講習をしましょう。

教育財政
学校財務会計システムについて-報告と交流-

※その他、当日のレポート持ち込みにより、分散会になることもあります。

全体会・記念講演 15時~16時30分

主催 大阪市学校園教職員組合

教育基本条例反対の動きが広がる。あなたも行動を

大阪市教協は9月15日森ノ宮駅頭で教育基本条例反対の宣伝行動を行い、13名が参加しました。ビラを受け取った女性から「これはひどいですね。」との声もありました。

 大阪維新の会が8月22日に明らかにした教育基本条例(素案全文は、こちら-自由法曹団・大前弁護士のサイト)は、憲法や現行の教育関係の法律を超越し、選挙で多数を取った首長が思い通りの教育を実施出来るようにする「維新クーデター」ともいうべき内容の条例です。

 教育条例と言っても、教育を良くするために30人学級にするとか、いじめや不登校を無くすために30、カウンセラーを増やす等といった事かと思ったら、反対に学力テストの結果の全校公表、学区制廃止で子どもをテスト競争の泥沼に追い込み、学校長には、採用人事権や教科書採択権、職務命令権等広汎な権限を与える一方、目標を達成できない場合は、教育委員同様免職。

 教職員は、同一の職務命令に3回従わない場合や職務命令違反が5回たまれば、免職。毎年の人事評価で最低のDランクを5%と決めて2年連続Dランクなら免職等と処分で脅す。保護者や地域住民にも学校に文句を言わせず、協力を強制しています。

 大阪市教では、職場討議資料を配付し、討議を呼び掛けています。また、維新の会の橋下徹氏に撤回を求める署名に取り組むと共に、今後も次ぎの日程で街頭宣伝に取り組でいきます。短時間でも行動に参加を。

 次回は、9月20日火曜日午後6時~6時30分、地下鉄・JR森ノ宮駅頭で

 以下9月29日木曜日、10月6日木曜日、10月13日木曜日、10月20日木曜日

大阪市教 マルかじり ゼミナール(連続学習会)

学習会案内のダウンロードはこちら(PDFファイル)

〝大阪市教 マルかじり ゼミナール〟を9月16日(金)18時30分より、アネックスパル法円坂(JR森ノ宮西へ・地下鉄谷町四丁目東へ)でおこないます。初回のテーマは「東日本大震災、日本は、大阪市は 主体的な生き方とは 社会発展史をかじる」。

今後、毎月1回開催の予定。ものの見方・考え方、現代資本主義社会、資本論、労働組合、社会発展の展望と私たちなど、参加者とともにテーマを考えます。

参加費は無料。参加申し込みは大阪市教までお願いします。

原水爆禁止2011年世界大会・長崎報告②

8月8日9時54分:今日は映像の分科会に来ています。午前中、第五福竜丸の事件から、原水爆禁止大会、3000万署名が大国を動かしたことなどについての映像です。当時、アメリカ政府の発表を日本政府も支持したことが述べられています。

8月8日10時24分:一人の女性の新聞誌上への投書。それにある女性が誌上で交流。1954年核実験が繰り返されたことにより、放射能を含んだ雨が降り続く。⇒魚も食べられない。水も飲めない。女性たちによる署名活動が各地で自然発生的にスタート。初めは、署名に賛同しない人もいる。『沈黙は賛成を意味する。名前を書くことに意味がある』。杉並で27万の署名。署名活動の盛り上がりに、日米両政府は鎮静化を画策。米が日本に見舞金を贈ることで、一切、責任を追及しないことを飲み込ませた。当時、それでもアメリカは三ヶ月の間に15回の核実験をする。⇒女性たちの署名に男性が積極的に関わり始める。1955年8月6日3158万の署名が集まる。当時の成人の半分。世界からは6億の署名が集まる。2年後、国が原爆医療法を施行。1963年、部分的核実験禁止条約へとつながる。大気圏での核実験を禁止した。ある26歳の会社いんが第五福竜丸の保存を呼びかける。

8月8日10時49分:1,000隻以上際は被爆している。しかし、沈黙した。なぜなら、漁業組合ごと壊滅する恐怖。他の人に悪い病気がうつる。結婚等に影響するという恐怖があった。アメリカは、死の灰がふることを承知で、核実験を強行。もし、アメリカに核爆弾が落ちたらどのような影響を受けるのか、モニタリングをするために、日本や他の国にも事前に放射能量の測定を要請していた。福島はチェルノブイリの10分の1の放射能量。スリーマイルの約10倍にあたる。

8月8日11時42分:1954年 米水爆実験。柴田ひでとし日本テレビ重役。キーパーソン。アメリカ対ソビエトの核競争。アイゼンハワーウラン235を民間に転用することで軍縮へ。平和利用を呼びかける一方で、西側には核配備を進める。アメリカはUSISを虎ノ門に置き、原子力平和利用を推進する一方で、ソ連に対抗するため、秘密裏に実験を行う⇒第五福竜丸で実験の存在がばれる。アメリカの計画。柴田『日本は原爆アレルギーの最たる国。共産党の運動に利用された』と主張。正力松太郎の懐刀。原子力は両刃の剣。ダニエルワトソン。柴田は首相官邸と繋がっていた。テレビ局の重役がする提案ではなかった。日本に対する心理対策戦略、読売新聞の社主正力に近づく。日本の社会は新聞に影響をうける。昭和28年日本テレビ会談は第五福竜丸の事件前から行われていた。日本は原子力利用にうってつけの国。貧困の結果、共産化に進むことを懸念。原子力で国を豊かにし、アメリカ『飛び散った珊瑚礁の化学反応』と主張。アメリカは日本の政治動向を懸念。ソ連も国交回復し、日本をアメリカから引き離したい。柴田ワトソンジェネラルダイナミック社⇒原子力潜水艦。柴田ホプキンス連絡。元日原子力平和利用のキャンペーン、読売、日テレアメリカの民間使節団へ受け入れ体制を構築。アメリカは濃縮ウランを外交カードとしてアメリカの勢力を拡大した。昭和29年1月4日第五福竜丸200万ドルを払う。一週間後濃縮ウラン受け入れを求められる。外務省は公開せず。朝日新聞のスクープで公開される。柴田学術会議のメンバーの思想チェック。正力、衆議院に立候補、保守合同財界にはたらきかける。原子力の方が効率的。『原子力からでる灰も殺菌に利用できる』。日本では当時、電力不足。『毒は毒をもって制する』日本が変なことにならないようにとするアメリカの考え。第五福竜丸事件から一年後、ウラン受け入れ。半年後、正力、鳩山内閣の原子力担当大臣。

原水爆禁止2011年世界大会・長崎報告③

8月8日18時05分 教職員平和のつどいに参加して

 福島の双葉高校の先生の報告です。遅いことに一ヶ月経ってからサテライト校ができた。教師や、教室が不足している。授業確保ができず、10時間くらい自習になってしまう。体育館をパネルで区切って授業をするが、隣から声が聞こえる。
 部活や特別活動ができない。野外で部活していても内部被爆しているのではないかという不安。

 着の身着のまま生徒と共に避難したまま、生活圏内にもどれなくなった先生たちも多いそうです。生徒のために、寄り添っていこうとご自分の生活もある中で一生懸命されているのに、七月の末に人事異動をされて八月から別の学校に行かされるということを聞き、教育委員会に憤りを覚えました。

原水爆禁止2011年世界大会・長崎報告①

原水爆禁止2011年世界大会・長崎に、大阪市教の組合員が3人参加しています。現地からの報告を随時掲載します。

8月7日14時40分

ただいま、長崎の公会堂(会場)に到着しました。

8月7日15時54分

すべての都道府県から代表が参加。
●長崎市長挨拶。核兵器は使われないという神話は世界を思考停止にした。
● 南相馬市長からのメッセージ(代読)原発に依存しない社会を求める。

 8月7日17時29分

  日本共産党志位和夫委員長のあいさつの要旨は次の通り。(1)国連総会、核兵器廃絶決議支持国は133カ国に増えた。日本政府が未だに棄権していることが信じられない。すみやかに参加することを求める。(2)平和市長会議の参加が増えた。(3)今年二月に、国際署名が力強く開始。草の根の運動を進めることが重要。
核兵器廃絶運動と、原発ゼロの運動の一致点はそれぞれであるが。  しかし、この二つの運動は『核による被害者を二度と出してはならない』を共通軸に連帯して進めていくことができる。

三日目の報告、地震と津波は復旧できる。ご遺体の身元判明(8月5日)

全教 東日本大震災救援ボランティア参加報告その3

今日(8月5日)は昨日に続いて、育苗箱の泥落としと塩分除去の作業をしました。

(別のチームは、仮設住宅への野菜配り。…以下寝屋川の東さんの報告・・・・・・・

今日いった仮設は石巻一大きい所。1人暮らしのサイズは押し入れを入れて2k。暑くて座りこんでぽつぽつ しゃべる男性が印象的でした。みなばらばらに来ているので近所付き合いはなく、これからというかんじ。いる人は三分の一。暑いから外にでず。 子ども、年寄り多し。持っていったものの無料販売は、完売。

 一日目に紹介されたポプラ社の本ーふたたびここからー池上正樹著者の写真 です。

 また、別のチームは、一日目の西光寺墓地整備もあったそうです。)

 僕たちは、11時からは、近くの避難所で、紙芝居や絵本を、子ども8名、大人2名のみなさんに見ていただきました。兵庫県と大阪府立の特別支援学校の先生も一緒にやりました。

長谷川義文の「大阪にはうまいもんがあるんやで」の読み聞かせ、「まんまるまんま、たんたかたん」の紙芝居、はらぺこあおむしの大型絵本、じごくのそうべえの模造紙大の手作り紙芝居のラインアップでやりました。

やってる途中から付き添って来たお母さんも「面白そう」と正面に座られて見てくださいました。吉永さんはシャボン玉をプレゼント、避難所にいたお年寄りから、「大阪弁が聞けて良かった。」と労いの言葉をいただきました。
時間が30分と限定されたので、一緒に行った畑山さんの「めっきりもっきらどおんどん」はできませんでした。

一日目に西光寺の墓地の瓦礫の中から発見されたご遺体の身元が、「○○さん73歳の男性と判明、」と地元紙報道。お盆を前に少し「ほっ。」としました。

なお、石巻市の小学校で児童の7割の犠牲者を出したところがあったそうです。石巻市の被災の実情は、2011年5月24日発行の「大津波襲来、石巻地方の記録」三陸河北新報社に詳しい。関心のある方は、支援のためにも、メールなどで直接注文をどうぞ

帰りのバスで全教の北村委員長から、全国から寄せられた義援金は7000万円近くで、各地の教育委員会に「子どもと学校に直接役立てて欲しい。」と義援金を届けに行った報告がありました。

訪ねた所では、どこでも歓迎されたこと、異口同音に訴えられたことは、学校の再建(改修や建て替え等)が急務なのに、国の復興の取り組みが遅いこと早く手を打ってほしい。だったそうです。

参加者の感想で、新潟の高校の方が、「10日前に南相馬市を訪ねたが、福島原発に向かう道路は機動隊が道路を封鎖し、田畑は荒れ放題に放置されていた。宮城県に来て「まだまだ復旧は大変だけど、地震と津波は復旧できる。日本にゴーストタウンを作った原発事故は許せない。」と言われたのと、枚方市の青年が、「被災地の実情を見たいのとボランティアに参加したい。という願いをかなえてくれた、全教本部に感謝します。」との発言が印象的でした。(確かに、仙台は明日から七夕、他の町でも東北地方は夏祭りで250名の宿の確保等、大変だったようだ。)
以上、報告終わります。
最後に一言、現地派遣に協力してくださった方、このメールに三日間お付き合いくださった方、一緒にボランティアで頑張ったみなさんに感謝します。
テレビや新聞報道だけでは分からない、生の匂い、景色を体験し、一人一人のエピソードを聞けて良かったです。

何時になっても、福島県、宮城県、岩手県を訪ねられることをお勧めします。

(中路)

二日目、東松島市の稲の育苗箱の泥落とし(8月4日)

全教 東日本大震災救援ボランティア参加報告その2

二日目は10時から、東松島市の稲の育苗箱の泥落としをしました。100名で7300箱をやりました。(写真)
海岸から約1kmにある(株)サンエート(株式会社と言っても共同組合みたいなものです)さんの倉庫横で作業をしました。
始める前は「こんなにたくさんをどうするの?」って感じでしたが、やり始めると仕事の進め方で色々工夫ができて、みんなで楽しく仕事が出来ました。
仕事の合間に、社長さんに水田の塩害対策について話を伺うと、「田んぼに真水を入れて、耕すっぺな、それを3回繰り返す。」
ぼくが「それって確実に塩分を取り除けると決まってませんよね。」と聞くと「それでも、やんなきゃなんね、からな。」との返事。農業を守る手助けになれば嬉しいです。


作業後、3:30から東松島市立浜市小学校の渡辺先生に津波被害にあった校舎でお話を伺いました(校庭では、写真のように集められた瓦礫を重機で回収する作業がつづいていた。)

当日午後2時47分に地震発生、教務主任をしている私が、自分の車に飛び乗ってニュースを聞き、避難の指示、誘導をしているうちに3時40分頃に津波来襲。
津波は大波がザブンと来る形みたいに思われるかもしれませんが、6メートルの高さなら、園ボリュームでずっと続いてくるわけで、破壊力が並大抵てはありません。

この小学校は、子どもも教職員も全員無事だったが、教訓は、迎えに来た人がいたが、警報が出ている時は、引き渡すべきでない。
屋上に出る扉の合鍵を最上階の6年の教室に、いつも置くことになっていたから、避難がスムーズにできた。(やっぱり…これは、私の学校でも話題にしていた。浜市小学校の話は、詳しくは朝日新聞5月8日朝刊教育面参照)


今は、仙台駅に向かう電車です。背中が痛いのと、おなかが減りました。(中路)

「今一番欲しいのは、学校」 1日目は、石巻市の墓の瓦礫撤去

全教 東日本大震災救援ボランティア参加報告その1

「今一番欲しいのは、学校」

1日目は、石巻市の墓の瓦礫撤去

1日目は、石巻市の、門脇小学校の子どもたちが避難した日和山の下の西光寺の墓の片付けをしました。当日、近くの家が流されて来て、それに加えて、近くの日本製紙のパルプのロールが流れて来てそれがヘドロになって、お墓地全体が瓦礫の山になっていました。
「お盆を前に少しでも片付けて」との西光寺の住職さんの要請に応えて、250名で取り組みました。

昼休みには、日和山に登り、門脇小学校出身の元宮城高教組委員長の菊地先生から、石巻市の被災の説明がありました。

(上の写真は、燃えた姿のままの門脇小学校、燃えたのは、当日避難してきた自動車が校庭にいっぱい駐車していたが、津波で自動車同士が揉まれるようにぶつかり合って、漏れたガソリンに着火したちまち火の海になってしまった。奇跡的に大金庫の中の卒業証書だけが無事で、卒業式ができたそうだ。このエピソードは、「ふたたびここから」池上正樹著、ポプラ社に詳しい)

参加者からの「今、全国の教職員に訴えたい事は何ですか?」との質問に「物見遊山で被災地に来るな、という人もいるが、物見遊山でも何でもとにかく此処に来てほしい。ここにきて、景色と空気を感じたら物見遊山でなくなるから」と、訴えられました。

午後の作業中には、遺体が発見され警察が引き取りに来ました。

作業終了後宮城高教組の委員長さんから、教育の現状について報告がありました。

今、学校で困っていることは、瓦礫の集積場が横にある高校では、授業中、蠅が顔中にまとわりついて、勉強に集中できない。

避難所に居る子どもたちに「今一番欲しいのは、なんですか?」と聞くと異口同音に「今欲しいのは、学校。次が家」と答えるそうです。

また、石巻市での復興は、漁業の回復です。
同じ組合が下に付く団体だけど今までほとんど接点は無かったのに、今回初めて、漁協と教組とで共同でシンポジュウムを開いたら、宮城県知事が「水産特区を」等と漁業者切り捨てを打ち出しているので、漁業者の方から先に「最後に団結頑張ろう!をやろうと呼び掛けて来て、取材に来ていた新聞記者も含めて一緒に「団結頑張ろう!」をやりました。

等の報告がありました。
今、松島の駅で電車を待っています。(中路)