原水爆禁止2011年世界大会・長崎報告②

8月8日9時54分:今日は映像の分科会に来ています。午前中、第五福竜丸の事件から、原水爆禁止大会、3000万署名が大国を動かしたことなどについての映像です。当時、アメリカ政府の発表を日本政府も支持したことが述べられています。

8月8日10時24分:一人の女性の新聞誌上への投書。それにある女性が誌上で交流。1954年核実験が繰り返されたことにより、放射能を含んだ雨が降り続く。⇒魚も食べられない。水も飲めない。女性たちによる署名活動が各地で自然発生的にスタート。初めは、署名に賛同しない人もいる。『沈黙は賛成を意味する。名前を書くことに意味がある』。杉並で27万の署名。署名活動の盛り上がりに、日米両政府は鎮静化を画策。米が日本に見舞金を贈ることで、一切、責任を追及しないことを飲み込ませた。当時、それでもアメリカは三ヶ月の間に15回の核実験をする。⇒女性たちの署名に男性が積極的に関わり始める。1955年8月6日3158万の署名が集まる。当時の成人の半分。世界からは6億の署名が集まる。2年後、国が原爆医療法を施行。1963年、部分的核実験禁止条約へとつながる。大気圏での核実験を禁止した。ある26歳の会社いんが第五福竜丸の保存を呼びかける。

8月8日10時49分:1,000隻以上際は被爆している。しかし、沈黙した。なぜなら、漁業組合ごと壊滅する恐怖。他の人に悪い病気がうつる。結婚等に影響するという恐怖があった。アメリカは、死の灰がふることを承知で、核実験を強行。もし、アメリカに核爆弾が落ちたらどのような影響を受けるのか、モニタリングをするために、日本や他の国にも事前に放射能量の測定を要請していた。福島はチェルノブイリの10分の1の放射能量。スリーマイルの約10倍にあたる。

8月8日11時42分:1954年 米水爆実験。柴田ひでとし日本テレビ重役。キーパーソン。アメリカ対ソビエトの核競争。アイゼンハワーウラン235を民間に転用することで軍縮へ。平和利用を呼びかける一方で、西側には核配備を進める。アメリカはUSISを虎ノ門に置き、原子力平和利用を推進する一方で、ソ連に対抗するため、秘密裏に実験を行う⇒第五福竜丸で実験の存在がばれる。アメリカの計画。柴田『日本は原爆アレルギーの最たる国。共産党の運動に利用された』と主張。正力松太郎の懐刀。原子力は両刃の剣。ダニエルワトソン。柴田は首相官邸と繋がっていた。テレビ局の重役がする提案ではなかった。日本に対する心理対策戦略、読売新聞の社主正力に近づく。日本の社会は新聞に影響をうける。昭和28年日本テレビ会談は第五福竜丸の事件前から行われていた。日本は原子力利用にうってつけの国。貧困の結果、共産化に進むことを懸念。原子力で国を豊かにし、アメリカ『飛び散った珊瑚礁の化学反応』と主張。アメリカは日本の政治動向を懸念。ソ連も国交回復し、日本をアメリカから引き離したい。柴田ワトソンジェネラルダイナミック社⇒原子力潜水艦。柴田ホプキンス連絡。元日原子力平和利用のキャンペーン、読売、日テレアメリカの民間使節団へ受け入れ体制を構築。アメリカは濃縮ウランを外交カードとしてアメリカの勢力を拡大した。昭和29年1月4日第五福竜丸200万ドルを払う。一週間後濃縮ウラン受け入れを求められる。外務省は公開せず。朝日新聞のスクープで公開される。柴田学術会議のメンバーの思想チェック。正力、衆議院に立候補、保守合同財界にはたらきかける。原子力の方が効率的。『原子力からでる灰も殺菌に利用できる』。日本では当時、電力不足。『毒は毒をもって制する』日本が変なことにならないようにとするアメリカの考え。第五福竜丸事件から一年後、ウラン受け入れ。半年後、正力、鳩山内閣の原子力担当大臣。