東日本大震災ボランティアの記録②

○5月3日17時25分(大阪市教から返信)

 テレビの映像を思い出しました。九条の会大阪に参加。国家緊急権、非常事態措置権という新たな改憲論に対する警戒と取り組みが講演者から提起されました。憲法を停止し、行政に権力を集中する。「人権より安全」どうなるかは、9.11後のアメリカ、ビンラディンの法的手続きのない暗殺が示しています。生存権、人民の権利をこそ今強調すべき、その具体的行動をボランティアの皆さんが実践しています。心から敬意を表します。よろしくお伝え下さい。

○5月3日17時49分(B小学校のCさんから)

 活動、お疲れ様です。ボランティア、素晴らしい活動されてたのですね。
私は、募金くらいしかできていませんが、今後も継続してしたいと思っています。

 実際に、被災された人に会ったり、変わり果てた町を見ると、きっと心が傷むだろうと思います。ほんと、お疲れ様でした。体に、気をつけてがんばってください。

○5月3日19時59分(鍋田書記長)

 Dさん夫妻、Eさんは午後から活動しています。Fさんはマイカーで仙台に向かっています。今夜の宿舎はAは松島、他の方は仙台です。明日はみんな仙台です。できるだけみんなの動きを掴み取材します。

○5月3日21時6分(鍋田書記長)

 Eさんと連絡が取れました。Eさんは、石巻市の「石森章太郎子ども館」の後片付けです。5日の子どもの日に間に合うようにという事です。

○ 5月3日22時31分(D  市退職者)

 東京の夜は節電で暗かった。
 仙台に近づくにつれて、屋根のブルーシートが目についた。

 石巻市でボランティアをした。

 道路の確保。津波が流れ寄せ、そして引いていった。ガレキ、車、さまざまなものを残していった。わらが道路の通行を妨げている。人海戦術が求められている。
石ノ森章太郎の絵画館もガラスが割れた。子どもの日に一日限定でオープンさせるため、周りのガラス破片を取り除いた。また、土嚢を積む活動をしたが、その袋が足りなかったりした。
 いまボランティアの数が足りない。もっと来てほしい。現役も退職者も力を貸せる人は、その力を出してほしい。