東日本大震災ボランティア報告③5月4日

5月4日13時07分鍋田書記長から

 今日(5月4日)は、石巻市立石巻中学校での活動です。今、お昼休みです。午前中、石巻中学校に避難している方が違う中学校の体育館に移ることになり、荷物を教室から運びトラックに積み込む仕事をしました。

 避難している方がどうして、違う中学校に移るかというと、6日から学校が再開されるので、教室を明け渡さなければならないからです。石巻中学校の体育館も一杯ですし。子どもたちにとっては、待ちに待った学校生活が始まり喜ばしいのですが、避難生活をしている方にとってはタライ回しです。一刻も早く仮設住宅を作ることが急がれます。

 避難している方は津波で家を失った方です。家を失い、財産を失い、着のみ着のままで、数個の段ボール箱に入った家財道具が唯一の財産です。中には家族を亡くした方もおられるでしょう。避難している方の荷物をみんなで丁寧に扱い、トラックに積み込みました。

 以上、午前中の報告。野球部の子どもたちがコンチワ-と、挨拶してくれました、うれしかったです。

午後からのボランティアは、避難していた方が移動したあとの教室の掃除、机・椅子の移動をしました。石巻中学校の先生たちと一緒に作業をしました。ある教室は、卒業までのカウントダウンの日めくりが3月11日でストップしていました。地震以降、誰もめくることがなかったのですね。作業が終了し、校長先生が挨拶に来られ、感謝の言葉とともに、「この現実を皆さんの学校の子どもたちに伝え下さい」と訴えがありました。また、幸い生徒には犠牲者がなかったこと、しかし、家族を津波で亡くした生徒がいることを話されました。昨日は石巻の産業のため、今日は子どもたちのため、教育復興のために頑張れたと思います。余震はあります。今までに、三回、体に感じました。

5月4日20時577分青年のGさんから

 昨日のDさんの、[その力を出してほしい]っていう言葉が胸にささりました。
私の力って何だろうって思いました。

 またメールがあれば教えてください

ヒガチャンから2011年5月4日 11:14 PM に投稿

山下中学校への被災者の引越しを手伝う。段ボールで体育館が仕切られている。プライバシーが保たれていないのが気になった。
市役所の職員が少なく、受入れの調整・指示がきめ細やかにできないのが目についた。小泉・竹中路線のつけが来ていると思う。
社会保障のあり方を論議しなくてはならない。

 JR石巻港駅は破壊し尽くされている。日本製紙の工場も港に近く、パルプが散乱し、工場再開の道は遠く感じられる。しかし、翻る鯉のぼりに希望を見た。

 日和山公園からの被災地を遠望した。陸に上った漁船。火災で焼けた家家家家。これほどまで破壊された街を再興する力が、市民に残っでいようか。

 被災ツアーなるコトバ。足立、多摩ナンバーの車が入ってくる。ビデオを回し、ボランティアの人を撮影する。被災地を見にくるのはいい。見ないより見た方がいい。
しかし、チョイボラでもいいから、手を出し、足を一歩踏み出してほしい。

 いまは人手がいる。仕事はいくらでもある。連休以降がボランティアの人員が減る。若者は力を、ベテランは知力とチョイ力を貸してほしい。

 是非、被災地を見て、できることをしてほしい。