「オンライン授業の強制」への見解(談話)を発表しました

「第46回大阪府新型コロナウイルス対策本部会議を踏まえた今後の学校園における対応について」(2021年4月22日)「オンライン授業の強制」への見解

学校で仲間とともに学び、活動できないことによる、子どもたちへの悪影響は、昨年の「一斉休校」で明らかになりました。また、保護者の生活にも多大の問題を生じました。子どもたちの学ぶ権利を保障しない、違法な学校教育ヘの介入をやめ、教育課程は学校において編成するという原則に立ち戻るべきです。

2021年4月22日 大阪市学校園教職員組合 執行委員長 宮城登(談話)

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 第46回大阪府新型コロナウイルス対策本部会議は4月20日、政府に「緊急事態宣言」を行うよう要請することを決定しました。松井一郎市長は4月19日、宣言期間中は原則オンラインで授業すると表明しましたが、タブレット端末が配備されたばかりで多くの学校で態勢が整っていないことから、「オンライン授業断念 大阪市小中 一転、『端末不慣れ』」と毎日新聞4月21日付が報じました。(市教委が各校の状況を確認すると、『端末の操作に不慣れな子どもが多く、スムーズにオンライン授業を進めるのが難しいと判断。保護者からも「仕事を休めない」「テレワークをしているので面倒を見られない」などの意見が寄せられ、全面的な導入を断念した。)

 しかし、大阪市教育長・子ども青少年局長が4月22日に各幼稚園長、各小学校長、各中学校長に通知した「第46回大阪府新型コロナウイルス対策本部会議を踏まえた今後の学校園における対応について」「1 学校園における授業・保育について」においては、【小学校】1、2時限目は家庭でICTを活用、3時限中に登校・健康観察、4時限目に1、2時限目の学習を深める、その後、給食を喫食し下校、5、6限目家庭で学習、としています。朝日新聞4月22日付は、「午前オンライン ▸ 登校して給食 ▸ 帰宅しオンライン」と書きました。

 「ある大阪市立小の校長は『端末は人数分あるが、準備ができていない。回線も担任もパンクする』と懸念する。学習の進み具合にも差が出ないか心配という。『画面を見て勉強できる子もいれば、担任がいないと集中できない子もいる』(朝日新聞4月20日)、小学校5年の長女を通わせる市内の会社の女性(42)は、「あまりに唐突で不安しかない」、40代の男性会社員は、「コロナ禍で子どもの学びが置き去りにされている。去年1年だけだと目をつぶってきたのに、今年もこの内容だなんて」と憤る、と朝日新聞4月22日付が報じました。

 大阪の感染拡大、「医療崩壊」については、「知事の責任は重い」(朝日4月16日社説)、「大阪 病床削減 大失態」(日刊現代4月15日)、「〝規制と緩和の反復横跳び〟の末に感染爆発が止まらなくなった」(週刊ポスト4月30日)とメディアからも指摘されています。「変異株への感染が8割の大阪府では、10代以下の感染者の割合が第3波の時の2倍に。」と報じられていますが、検査に後ろ向きで、他の自治体に比べて、高齢者施設の検査でも社会的検査でもけた違いに低い水準です。私たちは教職員のPCR検査を求めていますが、行われていません。行政として行うべきことを行わず、学校での教育活動を制限する、「オンライン授業ありき」の方針は再検討すべきです。

 文部科学省は4月19日、「デジタル時代の子どもの目の健康対策」について、専門家が集まり対策を話し合ったとTBS系ニュースが報じました。オンライン教育の問題点については専門家から様々指摘されており、「ICTありき」でなく、子どもの成長・発達と学校の実態をふまえた取り組みが求められています。(全日本教職員組合は第一次討議資料として、「『ICTありき』でなく、子どもの成長・発達と学校の実態をふまえたとりくみを=「GIGAスクール構想」など「教育のICT化」について=」を発行)

 学校の教育活動について文部科学省は、「各学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従い、生徒の人間としての調和のとれた育成を目指し、その心身の障害の状態、発達段階及び特性等、地域や学校の実態並びに学科の特色を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。」としています。
 首長が教育内容、教育方法、教材について事細かく命ずることは法的に根拠がありません。「地域や学校の実態」を十分考慮して行われる学校教育活動の条件整備をする事こそが教育行政に求められていることです。
学校で仲間とともに学び、活動できないことによる、子どもたちへの悪影響は、昨年の「一斉休校」で明らかになりました。また、保護者の生活にも多大の問題を生じました。

 子どもたちの学ぶ権利を保障しない、違法な学校教育ヘの介入をやめ、教育課程は学校において編成するという原則に立ち戻るべきです。

(以上)