二日目、東松島市の稲の育苗箱の泥落とし(8月4日)

全教 東日本大震災救援ボランティア参加報告その2

二日目は10時から、東松島市の稲の育苗箱の泥落としをしました。100名で7300箱をやりました。(写真)
海岸から約1kmにある(株)サンエート(株式会社と言っても共同組合みたいなものです)さんの倉庫横で作業をしました。
始める前は「こんなにたくさんをどうするの?」って感じでしたが、やり始めると仕事の進め方で色々工夫ができて、みんなで楽しく仕事が出来ました。
仕事の合間に、社長さんに水田の塩害対策について話を伺うと、「田んぼに真水を入れて、耕すっぺな、それを3回繰り返す。」
ぼくが「それって確実に塩分を取り除けると決まってませんよね。」と聞くと「それでも、やんなきゃなんね、からな。」との返事。農業を守る手助けになれば嬉しいです。


作業後、3:30から東松島市立浜市小学校の渡辺先生に津波被害にあった校舎でお話を伺いました(校庭では、写真のように集められた瓦礫を重機で回収する作業がつづいていた。)

当日午後2時47分に地震発生、教務主任をしている私が、自分の車に飛び乗ってニュースを聞き、避難の指示、誘導をしているうちに3時40分頃に津波来襲。
津波は大波がザブンと来る形みたいに思われるかもしれませんが、6メートルの高さなら、園ボリュームでずっと続いてくるわけで、破壊力が並大抵てはありません。

この小学校は、子どもも教職員も全員無事だったが、教訓は、迎えに来た人がいたが、警報が出ている時は、引き渡すべきでない。
屋上に出る扉の合鍵を最上階の6年の教室に、いつも置くことになっていたから、避難がスムーズにできた。(やっぱり…これは、私の学校でも話題にしていた。浜市小学校の話は、詳しくは朝日新聞5月8日朝刊教育面参照)


今は、仙台駅に向かう電車です。背中が痛いのと、おなかが減りました。(中路)